F-105D / 59-1771
The Personal Marking on F-105D (60-0498) by U.S.Net 
F-105's Page
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149th TFS Virginia ANG
The Personal Marking on F-105D (59-1731) 
The Personal Marking on F-105D (59-1822) 
F-105D / 60-0498 ”Top Dog”
F-105D / 59-1771 "Dynamic DuoⅡ"
↑ 撮影している時は、撮るだけで精一杯だったのか、200mmレンズで被写体に近づき過ぎて失敗したのは、450ガロン燃料タンクのフィン(羽)や主翼端が垂直尾翼のテールレターに被って機体ナンバーが読めない写真が多いことだった。少し送り気味でシャッターを押さないとその様に成ってしまうので、撮影位置によってはタイミングが難しかった。また、この149th FTSだけは機体の左側面が撮れないと価値が半減してしまう。左翼付け根の下にパーソナルマーキングが書かれているためである。
F-105D / 59-1371
↑ 1980年3月ネリス空軍基地のR/W21 Leftに着陸する4機のF-105D。私は左翼下のパーソナルマーキングを撮ろうと、戻ってきた4機のThudの着陸をオーバーヘッドの位置から予想し、R/W21 Rightと読んでポジショニングしたが、何と4機とも大きく旋回してR/W21Left側に着陸した。従って逆光の上、マ-キングも逃すことに・・・結局 あまり満足した写真も得る事が出来ず、撃沈と相成った・・・とほほ
F-105D / 62-4384
↑ 本機F-105D/62-4384も、1967年10月27日 北ベトナム上空でMig-17 1機を撃墜している。但し残念なことに本機は、翌年の1981年3月10日ノースカロライナで墜落事故を起こしパイロットが死亡している。
The Personal Marking on F-105D (61-0159) by U.S.Net 
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F-105D / 61-0159
→写真は、F-105D/61-0159に書かれていたアート。”HAVE GUN WILL TRAVEL”の文字は、VMFA(AW)-121のページでも解説を入れたので重複するが、1960年代日本でも放映された映画「西部の男 パラディン」の原名であり 主役を演じたリチャード・ブーンの拳銃に刻まれたチェスのナイトが有名である為、軍用機にも良く書かれるようだ。因みにパラディンは、中世のフランスの騎士の名前で、フランス陸軍の6輪装輪戦車にもこの名が付いている。
F-105D / 59-1731
F-105D (1971~1982)
文献によると当時149th TFSは23機のF-105D/Fを所有し、操縦技術に優れた23人のパイロットにそれぞれ固有の機体を宛がっていたそうだ。偶々部隊内に絵心の有る軍曹(後述)がいて(元々本職がペンキ屋だった)其々の機体にパーソナルマーキングを描き、愛車精神ならぬ愛機精神の高揚に努めたらしい。これは正に航空機写真マニアにとっても格好のターゲットとなり多くのThud ファンが憧れ関心が高まっていた。よってバージニア州空軍( Virginia ANG)のF-105は取材も多く受ける事になり、書籍でも良くとり上げられた。
F-105D / 61-0167 "Millard the Mallard"
↑ F-105D/59-1371には制動翼を広げたスネークアイ爆弾を投げる筋肉隆々の腕”The Hus Hammer”が書かれていた。何れも、バーナード・バイリー軍曹の手によるもの。
F-105D / 59-1822
↑ 撮影3日目、4日目になれば少し気持ちにも余裕が生まれる。この部隊のパーソナルマーキングが左翼下に掛かれている事は、航空専門誌でも取り上げられていたので、他機のランディングを捨てて、同部隊のF-105Dの左側面を順光で撮る事にした。それでもそれが出来るチャンスは少なかった。上写真のF-105D/59-1822のパーソナルマーキングは、”Superhog”の「猪突猛進」。この機体はベトナム戦闘当時ポーランド出身のパイロット ドナルド・クチィナによって操縦された機体で、彼は最終的に4星の将軍となり、このF-105D/59-1822をポーランドの博物館に展示する上でかなり政治的に動いたようである。本機はベトナム戦当時インテーク横に書かれたニックネームでポリッシュ・グライダー(polishu Glider)と呼ばれていており、彼の優秀な操縦ぶりから スーパーホッグの愛称が付いたそうだ。
↑ このF-105D/60-0498は、1967年4月30日北ベトナム上空でMig-17を撃墜している。1980年当時書かれていたアートは右の”Top Dog”
 本機は、1967年当時はタイのタクリ空軍基地に派遣され、第354飛行隊に所属していた。当時のパイロット マルコム・ウィンター大尉の記録によれば、本機のコードネームは”バイソン-2” 1967年8月時点で、北ベトナムのMig-17の拠点であったホア・ラック飛行場への攻撃で55回ほどの出撃をしていたようである。因みにホア・ラック飛行場は米空軍の重要な北爆ターゲットで、ラインバッカーⅡ作戦でも最初の攻撃目標となっている。
F-105D / 60-0498 ”Top Dog"